手土産のお茶菓子の罪

茶道を10年間ほどたしなんだ時期がある。人生についての深いことをお茶の宗香先生からは教えられたと思う。二週間に一度しかお目にかからないのに、生徒さんの個性をよく把握されていて、ここ、というタイミングでずばっといいあてたり正したりしてくれた。鋭い観察力と、わかりやすいたとえ話ができる多くの引き出しをもっていらっしゃる先生。子育て中は育児に集中なさい、お稽古はきてはいけません、と言われ、すごすごと私はお休みに入ったけれど、たまにお電話をくださって、また元気づけたりしてくださる。私のことをお見通しのようなタイミングで。。

乳がんを患って乳房が今はないことや、ご主人様のお病気のこと、などを気負いなく話してくださるが、そういうことを話しながら、下の世代の人間に色々なことを伝えたかったのではないかと思う。人生いろいろだけどいいものよ~みたいな締めで。。

昨今のお茶の教室では、風炉(灰に炭をくべて釜の湯を沸かすもの)ではなく、畳をきらずに電熱式の置炉を使用して生徒さんを迎えるところも多いようだだが、宗香先生のお茶室には、本格的な風炉があり、灰のお手入れも見事で、炭も高価で質の良いものを出してくださっていた。風炉の縁にある枠『炉縁』は、普段のお稽古の際は柿の木地の黒色の塗りを使っておられたが、夏の暑い日は胡麻竹をはったものや、初釜のときには朱塗りのものを出してくたさった。茶碗にしても、棚にしても、風炉先屏風にしても、いつも素晴らしいお見立てのもので設えて、生徒を待っていてくださった。

これらの準備は、想像以上に骨の折れる作業だし、センスも知識も問われる。風炉の灰を何度もふるいにかけて綺麗にしたり、重いお釜を何度も持ち上げたりしなければならないし、お花も茶碗もお菓子も、季節やお客様のことを考えてトータルでコーディネートして、ほんとに、ようやっと、お客様をお客様をお迎えする準備ができるのである。

頭ではわかっていたとは思うのだけれど、これらの大変さは一主婦の立場になってみてようやく想像できるようになり、先生がどれだけ大変だったかを思うと、あらためて頭があがらない。

お稽古を長くお休みをすることになった際に、先生と姉弟子たちへ感謝の気持ちと考えて、あろうこととか私は菓子折りを手土産に最後のお稽古へ出掛けた。当然の行いだと思っていたし、喜んでくれるだろうとも思っていた。けれど先生は悲しそうな、残念そうな顔つきで、

「優子さん、これはお茶の席にはやってはいけません。亭主の努力がすべて台無しよ。」

と言われ驚いたのと同時に、しまった、と。せっかくお茶菓子の取り合わせや、、盆の選定まで熟考してのおもてなしだったのに、「このお茶菓子も出せ」と言わんばかりに得意な顔をして菓子折り持参で、亭主の顔に泥を塗った自分の行為を恥じた。

このことは、失礼なことをしておいて厚かましいけれども、自分の身になった経験だと思っている。お茶の席に行くことはあまりないし、お茶なんてたしなんだこともないわ、という方は多いとは思うけど、私はお友達のお宅に招かれた時には、手土産は、ゲストが帰った後ご家族で召し上がれるものにするとか、あるいは、切ったり洗ったりしないでだせる、カップ入りのプリンのようなものにするとか(洗い物も少なくてすむし)にしている。些細なことだけれども、ホストを慌てさせたり忙しくさせたりしないような心遣いが、この一件でできるようになったかな、と思うのである。


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